Storyストーリー
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Prologue多文化共生の街
日本には約290万人の外国人が暮らす(2021年6月現在)。人々は軽々と国境を超え、各地で日本人と外国人の共生が進展する。
東大阪市では毎年国際交流フェスティバルが催され、会場は豊かな民族色に彩られる。
神戸市では阪神・淡路大震災時に多言語ラジオ局が開局され、やがて10余の言語によるネット配信へと発展した。
いまや社会のあらゆる分野で多民族多文化共生が進行している。しかし一方では、外国人に対する差別や偏見が色濃く残っているのも事実である。 -
Chapter 01原点としての朝鮮人差別
日本は1910年に朝鮮半島を植民地にした。朝鮮人の意識を日本人化させるため「皇国臣民化」政策を行った。
戦後も朝鮮人に対する弾圧・抑圧政策を強化した。1948年には朝鮮人学校閉鎖令を強行し、警官隊の発砲により金太一少年の命が奪われた(四・二四阪神教育闘争)。
また朝鮮人を主な対象とする出入国管理政策を行った。社会保障から排除し、「密航者」を韓国へ強制送還した。朝鮮学校には各種学校の資格しか認めず、子どもたちの夢を阻んだ。
こうした朝鮮民族に対する排外主義は、やがて全てのニューカマーへと拡大していく。 -
Chapter 02オーバースティと技能実習制度
1981年、日本は難民条約に加盟した。だが難民の人権を保障する制度改革は行わなかった。
おりしもバブル景気を迎えると、外国人労働者を大量に受け入れた。1993年には技能実習制度を開始した。しかしこの制度には「奴隷労働」や「人身売買」と呼ばれる構造がある。低賃金、長時間労働、恋愛禁止、労働災害の補償なしといった非人間的な処遇のため、失踪者や自殺者が続出した。 -
Chapter 03民族教育への抑圧
外国人差別による被害は子どもの教育問題でも顕著にあらわれる。外国人の子どもは義務教育の対象ではないため、まともな受け入れ態勢が整えられない。また外国人学校は各種学校の資格しか認められないため、様々な差別を受ける。
2010年、高校無償化制度が開始されたが、朝鮮学校は排除された。「子どもの教育に政治を持ち込むな」という世論が沸き上がり、朝鮮学校は裁判に訴えたが、最高裁は政府の差別政策を追認した。
2019年には「幼児教育・保育の無償化」が開始されたが、全ての外国人学校の幼稚園や保育園は対象外とされた。 -
Chapter 04踏みにじられる難民の人権
日本は難民政策においても国際的な批判を浴びている。難民認定率は1%以下にすぎず、不認定にされた人は容赦なく本国に強制送還される。
さらに入管の中や強制送還の過程で死亡事件まで次々と発生している。入管に収容された人々に対する処遇は劣悪であり、職員による暴言・暴行も頻発する。そのため被収容者によるハンストが多発し、餓死者まで出ている。
あるガーナ人は飛行機に乗せられるときに入管職員に首を絞められ窒息死した。
監視カメラには、体調が悪化して息絶えたカメルーン人、首を締め付けられたクルド人、右腕を骨折したトルコ人等の映像が記録されている。その他、父親と死別した人、自殺未遂した人たちの証言には戦慄を禁じえない。 -
Chapter 05ウィシュマさんの死
2020年、新型コロナが世界を恐怖に陥れた年、入管内でもクラスターが発生した。
2021年2月、ミャンマーでクーデターが発生した。同時期、政府は「戦後最悪」と言われる入管法改定案を閣議決定したため、非正規滞在者はみな恐怖におののいた。
翌3月、入管制度を根底から揺るがす事件が発生した。名古屋入管でスリランカ人女性、ウィシュマ・サンダマリさん(33)が死亡したのである。この事件を契機に入管の恐るべき実態が明らかになり激しい批判が沸き上がった。入管法改定案は廃案に追い込まれた。
ウィシュマさんの遺族と弁護団は監視カメラの映像公開を求めるとともに、名古屋入管の当時の局長などに対し、殺人容疑で刑事告訴した。
世界人権宣言は「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利について平等である」とうたっている。はたして外国人の人権はどれほど尊重されているのだろうか。